木下まち育て塾

まちかど博物館

 
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吉岡家土蔵

蔵
吉岡家は歴史的にみて木下の原点であり、吉岡家の歴史はそのまま木下の歴史でした。
今回、二回目の修復により再生した土蔵は明治24年建造のもので、往時の木下の繁栄を伝える数少ない歴史建造物で、現状のまま
では早晩、取り壊される状況下にありました。しかし、この木下を象徴する吉岡家の土蔵の消失は単なる建物が無くなるだけではなく
木下の歴史と文化」、「愛着と誇り」の、つまり今後の木下を考える上でアイデンティティーの喪失に繋がりかねないという意識がありました。
かつてここを起点に木下街道を通じて遠く江戸・日本橋の河岸まで物資が運ばれていたにぎやかな時代がありました。


二見屋(吉岡家分家)

 二見屋
平成17年10月、5番目のまちかど博物館として開館。 明治8年築。同43年本地に移築。
吉岡まちかど博物館の吉岡家とは分家の関係になる。
富士、筑波の両山が見えるところに由来する。


武蔵屋(岩井家住宅)

 武蔵屋
造形の規範となり、登録文化財に指定された岩井家住宅。江戸時代から明治にかけて
、 木下河岸(きおろしがし)で旅籠を営んでいたと伝えられています。明治末から
大正初めに行われた利根川の堤防改修工事に伴い、現在地に移築されました。
 また、木下から東京に向けての鮮魚輸送に関わっていたともされています。
印西よかっぺ夢まつりなどで、「まちかど博物館」として市民にも開放し、活用されています。
 屋内は古きよき大正の時代風情を残しています。


瀧田商店

 瀧田家
瀧田商店は江戸時代の後期から煙草の製造や販売,また,塩を中心にして手広く商っておりました。
特に,煙草や塩が専売になった明治後期から昭和にかけて,成田や印旛郡管内はもとより,香取郡や東葛郡の一部までの
総元締めでもありました。
 江戸(東京)等から仕入れた物資を高瀬船で仙助河岸で荷揚げし,そこから荷馬車で店まで運びました。
商品の小売店への販売は自家所有の発着所から小舟で手賀沼を渡り白井,沼南,柏,我孫子方面へ,
木下河岸から利根川を下り安食河岸から印旛沼を渡り印旛村方面へ,そして,徒や荷馬車で台地の大森や白井方面へ運びました。


イシイ電器

 イシイ電器
平成14年8月開館。大正5年のもの。塾にとって記念すべき最初のまちかど博物館。
まちの歴史関係資料を展示した思い出深いものがある。
平成15、16年は絵画ギャラリーとして、地元市民団体の絵画を展示した。
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